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4「海」

獣医ER物語 2020.01.15

カルテナンバー4:「海」

朝から夏の日差しがギラギラとまぶしく、蝉が盛んに鳴いている。
もうすぐ夏休みだ!
夏はDr.ミッチー・Kの季節だ。(Dr.ミッチー・Kは隠れサーファーだった。)

ここ数年サーフィンにはご無沙汰していたが、息子が波乗りをやってみたいと言い出したので、今年の夏休みは、南の島で家族とバケーションを兼ねてサーフィンをすることになっている。

おっと、診察の時間だ。元気に鳴く蝉の声を聞いていると仕事を忘れてのんびりとしたくなるものだ。

朝、1番で来院した患者は、初老のMr.フォードさんが飼っている7歳になる雄のボクサー犬、ノッポ君だ。1ヶ月間前からお腹が大きくなってきたとのことで来院した。私が腹部を触ってみるとソフトボール位の塊を触ることができた。これは、お腹になにか出来物がある。

「詳しい検査をしてみましょう」とフォードさんに説明してレントゲン検査とエコー検査を行ったところ、腹部に腫瘤塊を確認した。また、血液検査ではヘマトクリット値が27.7%であった。(ヘマトクリット値とは貧血があるかないかを調べる血液の容積量のことで、基準値は37~55%)。

私は、Mr.フォードさんに病状を説明した。「お腹に大きな腫瘍が出来ています。手術で摘出することがノッポ君にとって一番の選択です」と説明し、Mr.フォードさんはうなずいた。

そして手術日を決めて帰宅した。

翌朝、私は学会発表のためO市に向かった。午前中の学会発表も無事に終了し、ランチをとり午後の講演を聴くために席についた。ところが、発表も終わり安心し、満腹感も手伝って、睡魔が私を襲ってきた。講演会場も暗くなり、心地よい眠りつこうとした瞬間、携帯電話がなった(当然マナーモードです)。

看護師のリサからであった。内容は、こうだ。「昨日来院したMr.フォードさんのノッポ君が突然立てなくなり、呼吸が荒いのです。それでヘマトクリット値を調べたら16.5%。に下がっていました。先生、すぐ帰ってきてください。」

考えられるとしたら、お腹の中の腫瘤が破裂して出血を起こしている可能性がある。
私は、会場を後にした。携帯電話から「60分ぐらいで帰れると思う。それまで、輸血を開始しておいてくれ。そして帰り次第、緊急手術を開始するので、麻酔の全処置薬を注射しておいてくれ。」(麻酔全処置薬とは全身麻酔を安全にかけるための前段階の鎮静薬や鎮痛薬などの処置のこと)。
駅には、ワイフが車で私を迎えに来ることになっている。駅に着くやいなや、ワイフの車に乗り込み私の病院へと向かった。

病院では、スタッフによって、すでに輸血が開始され、麻酔の前処置も施されていた。私は、すぐに手術着に着替え、手術のための手洗いを行った。同時にスタッフによってノッポ君に麻酔がかけられ、気管内にチューブが送管された(気管内チューブとは、筒状の管を患者の気管の中に挿入してガス麻酔や酸素を送る手段として使われるチューブのこと)。

手術開始。
腹部の正中にメスがはいった。腹腔内は、想像していた通り血の海であった。「これは、酷い。」レントゲンで確認されたソフトボール大の腫瘤が破裂して大出血を起こしていた。まず、血の海ではどこに何があるか分からないため血液の吸引を行った。そして出血箇所の確認を行った。
しかし、腫瘤に栄養を送っている血管が太いものや細いものまで含めると数十本も存在していた。この血管を1本ずつ結さつし、腫瘤の摘出をしなければならない。正確に、しかも迅速に血管の鈍性剥離が施され(鈍性剥離とは、周りの組織を傷つけずに血管を組織から分離すること)、血管の結さつが行われた。同時に腫瘤も鈍性剥離が行われた。

しかし、これが厄介なことに、腸管や背中側の筋層にも癒着して剥離に手間取ってしまった。更に腫瘤も大きく正中切開箇所だけでは剥離できないため、腹部の十字切開も行い患部が見やすく露出できる様に大きく切開を加えた。

すると助手が「先生、ノッポ君の血圧が下がっています。」私は助手に、あらかじめ用意していた昇圧剤の微量点滴を開始するよう指示した。それと同時に「点滴の投与量を倍に増量してくれ。」と指示を出した。

昇圧剤と点滴量の増量で血圧が戻ってきた。さらに手術は続けられ、鈍性剥離が続けられた。さらに、先に進めていくと左側の腎臓と尿管を巻き込んで癒着していた。またここで足止めをくらってしまった。またまた厄介な事態に陥った。

右側の腎臓を確認したところ、こちらは癒着がなく機能していることを確かめ、癒着している左側の腎臓の摘出に踏み切った。これもまた腎臓に入っている動脈と静脈の血管を確認し、結さつし、慎重に行わなければならなかった。そのため緊張の連続と学会の疲れで、私の体力は限界を超えていた。
当然、ノッポ君の体力も限界に近づいている。
「早く手術を終わりにしなければ。」時間が刻々と進んで行った。

5時間40分後術式終了。「Mr.フォードさん無事手術は終了しました。ご安心ください。」するとMr.フォードさんのしわだらけの顔が嬉しさのあまり、さらにしわだらけとなり、そのしわに涙が伝わって流れるがわかった。

彼は「よかった。よかった。」と言いながら帰路に着いた。

それから、私は学会会場を後にしてから7時間以上も立ちっ放しだったため、また真夏の暑さで非常に喉も渇ききって、枯れた体をビールで潤すことにした。

「お疲れ様でした。」と無事手術を終えた自分の体に乾杯をした。

術後の経過も順調で2週間もしてノッポ君は退院して行った。
それから数週間後、手術で摘出した腫瘤の病理組織検査の結果が出た。
それは、血管肉腫と言う悪性度の高い腫瘍だった。

Dr.ミッチー・Kのワンポイントアドバイス:

血管肉腫は、全身のいたる部位に発生が見られるが、特に脾臓、右心房、皮下組に多くの発生をみる悪性腫瘍である。悪性度が高く、この病気の初期には浸潤して転移しているケースが多いといわれている。

 

不定期更新-by Dr.ミッチー・K


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